除霊を掲げているお寺や神社の一覧は、こちらのページです。
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霊障は、精神病や精神疾患で用いられる精神薬では治らない。
また、「精神医療の荒廃」に関する文献は多く発刊されており、精神薬の試験データの取り方も恣意的で情けないという感想である。
さらに霊障を病気だと誤診される患者にはおなじみのオランザピン/ジプレキサなどは、本澤氏の著書によると(wikipediaにも記載が有るとおり)、全国精神障害者家族会連合会(全家連)が議員へ早期承認陳情を行っているが、背景にはこの全家連は、企業から寄付金や接待を受けている。
また病院でエビリファイを処方される時に、エビリファイには自殺企図の報告(KEGGサイト等)があるという事も、医師から説明を受ける患者は稀である。
精神薬の怖さは、何の知識も無い段階なのに「まともで役に立つ薬かもしれない」という期待や思い込みが有る点、口に入れるものの安全性を、自分で調べる気力が無い状態で、服用しなければならないという点です。
そして、霊障か病気かの切り分けについては、日本では1900年以降に急速に衰えていった。
海外の方がまだましで、アメリカの精神疾患の診断基準のDSM-5では解離性同一性症の説明で「憑依」が記載されている。
WHOの、ICD10(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)では「F44 解離性/転換性障害」にPossession trance disorder(憑依トランス症)が有る。そこでは、「憑依とは”自分の意識”が神、魔、霊などの影響下に置かれる」とある。
医学情報書のMSDマニュアルでは解離性同一症の「憑依」として、「人格は通常は外部の主体/超自然的な存在/霊魂」「超自然的な存在(しばしば悪魔または神)である場合もあり、過去の行為に対する罰を求めてくることがある。」と記載がある。
このような霊障や憑依に関しては、それこそ一時期は日本の方が知見が有り、西暦800年頃から大量に文献に記載してきた。
現代では、本を読まない、または少ししか本を読まない人間が増えてくるのと比例して、「知識が無いけど自信はある」という職業人(精神科医も霊能者も含む)が増えてきた。
あと10年もすれば、「太平洋戦争は侵略戦争ではなかった。」という、戦中の一部の人間と同じ程度の「知識が無いけど自信はある」という人が、日本国内でほとんど占めるのではないか。
こういった本は大衆の自尊心には心地が良くて、マーケティング的に売りやすいから。
そしてこのような簡単思想の大衆は、心理的に誘導しやすく、結果として「戦争で儲ける人たち」に操られて、また「解放のための戦争、正義のための戦争」と間違えて、「戦争やむなし世論」を形成してしまいかねない。
多くの本を読まないと、この情報社会で必要な「情報の精査力」がつかない。
また、多くの本を読んでも、偏向的な読み方をしていては意味が無い。
恣意的なポジショントークや儲けがメインで、本を出版し続けている人も多いから。
偏向的な読み方を続けると、フィルターバブルやエコーチェンバーと言って、自分の嗜好に沿った情報が大好きになっていくだけというデメリットしか得られない。
本当に、本を読まないと、「本を読む人間」に心理的に操られ、マーケティング的に操られ、操れている事も分からずに、無駄な商品を買ってはネットで売るという、第三者から見ると情けない人生を過ごす。
まぁ本を読まないと、まずは心から貧乏になると思う。
現代では家にいながらにして国会図書館オンラインや国書データベース等で、無料で多くの文献が読める。
霊障や憑依に関してお勧めできる天台 智顗氏の摩訶止観や宮崎大門氏の幽顕問答鈔もこれらのサイトで無料で読むことができる。
ただしこのような霊や憑依に関する古典/文献/エビデンスを読まない精神科医や霊能者ばかりであるから、ただただ誤診する。
誤診しても責任を取らなくて良いから、文献を読まないし倫理観や道徳観も稚拙なまま。
そして誤診された患者は、指導や投薬によってさらに悲惨(死も有り得る)な状況になる。
誤診に真摯に向き合う環境を作らない精神科医や霊能者は、自分のせいで患者をこのような悲惨な状況に落としている事にも気づかない訳なので、もし地獄が存在するならば、死後は地獄に落ちると思うがどうだろうか。
まず、誤診に気づく仕組みを設けない(経験豊富な)霊能者と、誤診に気づく仕組みを設けない(経験豊富な)精神科医は、このホームページで紹介する色々な文献をまずは参照し、文章の真偽を調べる等を行って、「精査する力」「判断力」「経験や主観の、危うさや馬鹿さ加減」を体得及び理解し、そして「霊障とは何か」を理解してください。
霊能者は「神」に頼りすぎ、精神科医は「西洋薬」に頼りすぎ。
「自分自身で患者(や文献を)を観察し、検証する。」と言うことを放棄し、「責任」を最終的に神や西洋薬に放り投げ放棄している。
神も西洋薬も、その効果効能は、「個々の患者の状態が、宣託前や投与前に確定している」訳であるから、結果も事前に100%決定している。結果として間違いなく100%の効果が出る。
ただし、人間(霊能者や精神科医)が介在する場合、「個々の患者の状態」を見誤る訳なので100%にはならない。
誤診が発生する。
実際に霊障を体験した患者が「霊障」だと伝えているのに、神霊に関して広く文献を読まない霊能者及び精神科医は、「文献には多く記載されているが、自分としては初めてのケース」のため、経験が無く、そして誤診する。
そして患者における例外事例にこそ、真実がある。
「例外の中に、真実がある」というのは神道の本や戦争の本に度々記載される言葉。
浅い人間は、どうしても過去の成功事例に引っ張られて、次の診断をしてしまう。
「経験を増やすことによる危険性を自覚して、次の診断にあたらなければならない。」というのは、どの業種の仕事においても初歩的なことなのだが。
そして症例の僅少な患者は、霊能者や精神科医から、間違った診断をされる。
まぁ霊能者のうち「判断力なく、神のお告げを単に聴き、患者を教導する者」は、本当に単なる「霊能者」どまりで、神のお告げを単に自己解釈するのではなく、患者の中に入っている霊の挙動を見据え、自分の洞察力や蓄えてきた文献による知識やエビデンスをもってして判断したり分別したり、もしくは躊躇や保留できるのが、審神者(さにわ)である。
これについては宮崎大門氏も同様の苦言を呈している。
特に、「躊躇や保留」ができない人間が、霊能者や精神科医に限らず多すぎる。
そして見切り発車で原因を断定しているからこそ、「誤診の指摘」を素直に受け付けることはできない。
そもそも「自分自身の技術に、自信の有る人物」にろくな人間はいない。
こういう人間は「例外事例」に遭遇すると、過去の一般的な事例、自分自身の技術で対処できるであろう事例であると誤診してしまう。
「失敗をまず指摘されない環境にいる人間」、これまた技術の研鑽が出来ぬ訳で、不幸なことである。
自分自身で作り上げた砂上の楼閣の頂きで、「先生」として生き抜くしか無い。
「霊ではなく精神病だと思われる」という誤診や失敗をされた患者側は悲惨であり、寝たきりが続いても、生死をさまよっても、その責任を「先生」は絶対にとらないし、そもそも認めない。
釈迦も空海も親鸞(夢告等)も、その他の多くの市井の人々も、神霊に遭います。
これは昔から現代に至るまで多くの文献に記録されています。
そしてこれらの方々は、精神科医に診察されてしまうと、「幻覚、幻聴ですね。統合失調症です、精神薬を処方します。」となります。
複数回神霊に遭う場合は、「(国連では”差別や人権侵害”と言われている)精神病院へ、入院しましょう。」となります。
そして釈迦も空海も親鸞も、多く神霊に遭う人間ほど、病状が重いとされて精神病院に長期入院しそこで死ぬ訳ですが、この状況を「誤診」と認めて、物事を正す事ができるでしょうか。
現代日本においては不可能です。
霊障の有無に関係なく、精神病院入院をはじめとする精神医療の荒廃は当然ながら人間の尊厳や人権やどの角度から見ても「異常」なのですが、現代日本においては「普通」です。
国連から「精神病院の入院」は差別や異常と指摘されても、日本でその状況(入院患者の幸福追求権等に対する侵害)に気づく人間は(人権関係者以外は)ほぼ皆無です。
毎日新聞 - 精神科の強制入院で弁護士が感じる違和感・ハンセン病患者の隔離政策に通じるところがある(八尋弁護士)
日弁連 - 精神障害のある人に対する強制入院制度は、ハンセン病患者に対する強制入院制度と同様であって、差別偏見を作出・助長する患者隔離制度に他ならない。
滝山病院 入院手続きで偽装か 埼玉 所沢市の職員ら7人書類送検
「2023年8月17日 看護師による入院患者への暴行事件が起きた東京 八王子市の精神科病院「滝山病院」に入院した埼玉県所沢市の男性患者を医療保護入院させた際、手続きを偽装した所沢市の生活福祉課の職員等、合計7人を書類送検。」
大和川病院や神出病院のような惨状は過去のことでは無く、現在進行形です。
日本の精神医療における「精神患者への差別、人権侵害」は国連が勧告していますが、そもそも医師の未熟な精神性はどうしようもありません、なるべく数少ないまともな倫理観の有る医師(倫理教育を重視する家庭・小・中・高に通学していたような医師)を患者が探すしかありません。
精神科医の誤診や精神性はおよそ以下のような状況です。
以下が氷山の一角なのか、逆に特殊な事例なのかは、調べてもらえればすぐに分かります。
実に患者の4割が、誤診、あるいは誤診の疑いがあると感じた経験を持っていた
「医師によって病名がコロコロ変わる」
精神科医の中には、セカンドオピニオンの希望を伝えただけで、「信じられないのか!」「もう来るな!」などと逆上する人が少なくない
精神科の治療成績がほとんど公開されていない
①最終的に治療が正しかったのかどうかの判断が難しい。
②診断基準が曖昧。
③日本では、公の場において他者批判する文化は排除される傾向にある。
④権威とされる者の意見はすべて正しいという風潮がある。
⑤学者同士が公の場で議論されることがほぼないという現状。
⑥患者はさておき、医療者同士が互いをかばいあう習性がある。
精神疾患として紹介されながら身体疾患であった疾患・病態の一覧
1.気分障害型:
副腎不全・機能低下症、Cushingsyndrome、甲状腺機能亢進症、甲状腺機能低下症、
ACTH(単独)欠損症、パーキンソン病、悪性新生物、睡眠時無呼吸症候群、睡眠相後退症候群、
リウマチ性多発筋痛症、PM/DM、腎不全、心不全、薬物
2.精神病型(意識障害を含む):
低酸素血症、CO2ナルコーシス、低血糖、低Na血症、高Na血症、
高Ca血症、低Ca血症、肝性脳症、チアミン欠乏、てんかん、
慢性硬膜下血腫、変性疾患(多系統萎縮症)、
髄膜炎・脳炎(インフルエンザ脳症、進行性多巣性白質脳症、進行麻痺、ヘルペス脳炎)、
脳腫瘍、頭部外傷(脳震盪、脳挫傷)薬物
3.身体症状症型:
多発性硬化症、胸郭出口症候群、周期性四肢麻痺、急性散在性脳脊髄炎
上記の脳炎や低血糖や甲状腺関係等を精神疾患と誤診するというのは、検査せずに診断結果を出して投薬している訳であるから論外。
精神科しかない病院であれば、総合病院への受診を1度は勧めるか、「精神疾患と間違いやすい身体疾患」という1枚の印刷物を作成し患者に渡し説明すれば良いだけではないか。
そして精神科医は、誤診しても、間違った薬の処方をしても、ほとんど責任は問われません。
誤診後に、上に記載されているようにセカンドオピニオンや他の病院で、まともな診察を受けて多剤処方から抜け出す目処がついたという事例は数多あります。
ですが、この際に最初の病院の医師が「誤診した」と気付ける仕組みが無く、誤診による罰則も無いため、どうしようもありません。
日本の精神科医は自責の念を持つという事もまず無く、この状況ではその医院は、5分診療や誤診のたれ流しを発生し続ける現状から永遠に抜け出せず、例えばKEGGサイトに記載がありますが、「エビリファイは若年者には自殺念慮、自殺企図のリスクが増加するとの報告が有る」と、(特に若年者以外の)患者に説明をすることなくエビリファイや、それ以外の多様な精神薬を処方する訳ですから。
精神薬の副作用や稀な副作用について説明を1人1人に行っている医師の方が少ないと思います。
それで自殺したり薬漬けになったり重篤な副作用が出て医療過誤訴訟まで行っても、裁判官自体が医療に詳しくないこともあり、患者側は満足な結果は得られにくいです。
薬漬けについては例えばNHKのハートネットや、精神病院の口コミをGoogleマップで見てみてください。
どうも精神科にかかっている患者の、悲痛な口コミや叫びは軽視されている状況ですが。
また、他の診療科なら例えばレントゲンの写真を見て骨折と判断したり、血液検査/CT/MRI等で患者の状態を判断するのですが、精神科は問診のみで診断し、薬を処方します。
「上記のような検査結果が無く、問診のみの診断」「誤診しても責任は取らない」という状況の中での診断ですので、簡単に信用してはいけません。
診断書も、主観や思い込みで間違った診断を精神科医が記載しても、事件化しない限り、不正を問われません。
この病院の精神科は不正診断書を作成し遺族に嘘の説明をしましたが、これは氷山の一角です。
精神科のみでなくとも病院におけるカルテの信用性の無さは、「医療事故に 遭わない 負けない 諦めない」(2017年)という本などに、例えばカルテの改ざん等が詳しく書かれています。
書類の改ざん等の防止方法は安価で簡単だと思います、記載日をタイムスタンプで記録する等。こういったカルテ改ざん防止対策を取っている病院は無い、もしくは極めて稀だと思います。よって、カルテ単体での「信用性」はほとんど無いと言っても良いと思います。改ざん防止策をせず、後から病院側での改ざんも簡単な「患者に関する資料」の信用性はカルテに限らず、信用性は疑わしいと考えるのが妥当だと思います。
医療現場や医師のおかしな言動に関しては保阪正康氏の「医療崩壊 - 私たちの命は大丈夫か」(2001年)という本にも詳述されていますし、特に精神医療に関しては、東大教授の石原孝二氏も詳しいですし、その他、(疑問を持つ)ジャーナリストの本や著述が多く見受けられます。嶋田和子氏の著書にも冷静に精神医療の駄目さが記載されており、特に東海地方のある精神科医の主張は目も当てられません。
ジャーナリストでなくても、「間違った診断及び見立てによる、薬漬け」に警鐘を鳴らす精神科医も存在しますが、それだけ薬漬けに代表される間違った診断がまん延しているということです。
以下も精神科医の方による、精神科医への指摘です。
何でもかんでも全部統合失調症で済ませるおつもりですか?
統合失調症は病気のくずかごではありません。
薬の副作用を、症状の悪化としてさらに増薬していませんか?
「善意の無知」も「悪質な親切」もどちらも許されるわけがありません。
無責任に何年も何年も多量の抗精神剤を処方され続けた患者さんがどうなってしまうのか。
その人生を償うことができますか?
そのため精神の不調に関しては、セカンドオピニオンや、精神科医以外の分野の方々の話も聞きに行った方が良いです。
「精神科医以外の分野の方々」とは、身体疾患と精神疾患との切り分けもできる総合病院や、自律神経などの神経に及ぶ場合は漢方薬局や整体院など。または霊障の因縁が有るのならば対応できる寺社。
そして先の国連の勧告でも触れていますが精神病院に関わる人々の人権意識は高くなく、端的に言えば日本の精神医療は荒廃しています。
※日々忙しく仕事をしているのは理解できるが、仕事の方向性や医療倫理が問題。特に国連の指摘する「入院」。
※ただし全然問題のない、良い方々も、いるにはいます。各精神病院の実態については大阪精神医療人権センターをはじめとする各地域の人権センターが刊行する冊子、人権センターや精神医療問題を紹介しているNHKサイト、人権センターHP、読売新聞医療サイト ヨミドクター等に記載されています。また2023年の滝山病院以外にも完全に倫理観の欠如している精神病院は常に存在しており、氷山の一角ですが度々ニュースになっています。
そして精神科医は、15分程度の問診で統合失調症/解離性障害等であると診断する事がおかしいと言うことも分かっていません。
患者の幸福追求権や人権までを本当に考えてる精神科医も見当たらず、患者の方よりも精神薬の方を向いて従事しているというのが精神科医の実像だと思います。
そのような精神科医や精神医療のレベルですので、ましてや「霊障」を理解できる思考はありません。
よって、霊障の患者さんは、うつ病、統合失調症、解離性障害、躁うつ病という風に様々に、「誤診」され、霊障に全く効果の無い精神薬を飲み続けて、副作用によって余計に生活の質が下がるという訳です。
霊障を患っている方は敏感な体質な方も多く、そのため、このような方々には薬の副作用(思考力低下、眠気、自殺企図等)が激烈に出ます。
真言宗の空海も「身病の要は、四大と、鬼と、業なり」と言っているように、昔から「霊障には薬は意味が無い、除霊しかない。」というのは識者・行者・実体験を有する者、この3者にとっては当たり前の事です。
真言宗の方の著書でも紹介されている高峰大神の話(このケースも医者が誤診し神道の加持人によって対応できた)や、菅原道真を代表格とする日本史における怨霊や、井戸埋め時に息抜きや神事をしなかった結果として精神に異常をきたした話など、西暦800年以降、大量の文献があって、文献の真偽の精査もわりと簡単なのですが。
1つの図書館で、”霊や神仏による人知を超えた超常現象”を記載している本を探したとするならば100冊以上は有ると思います。
また、調査方法としては下の下ですが、家から一歩も出たくないけど調査はしたいという場合でも、以下のようにインターネット上で神霊のうち怨霊/御霊部分に関する文献を一覧にしておられる方のホームページや、国会図書館オンラインでも見つけることができます。
そして、これらの過去の文献の真偽の精査や、会議や討議を行い忖度部分や誇張部分を削ぎ落としたり、現地調査をした結果として、みなさんが学校で学ぶ「日本史」が有ることは、理解できると思います。
「現在存命ではない歴史上の人物」が本当に実在したかどうかは、現代の人間が目で実在を確認して、事実であると認定することは無理です。
文献の真偽の精査や現地調査をした結果として、「歴史上の人物 Aさん」が本当に実在したと確定される訳です。
これは、神や霊であっても同じです。
文献の真偽の精査や現地調査をした結果として、「神 Aさん」や「霊 Aさん」が本当に実在したと確定される訳です。
※また、神霊に関する現地調査のうちで一番容易なものはやはり、和尚かお上人の除霊シーンを何度も見て、何年も寝たきりだった人間が元気になるという神力に遭う調査だと思います。
西暦1900年以前の医師や識者のうち判断力の有る者は、文献や伝聞情報を総合的に判断し神・仏・霊の実在を認めていたのですが、西暦1900年以後の医師や識者の中で、これら多くのエビデンスの真偽判断をし真実にたどり着いた者は1人もいないのではないか。
空海が存命中の西暦800年頃~現在の西暦2023年に至るまで、識者にとっては霊障が存在することは当たり前の事です。
精神科医が実際には対応範囲外なのに、しゃしゃり出てきて、「有識者が記載した西暦800年以降の様々な文献に掲載されている霊障のエビデンスも軽視し、誤診し投薬するようになった。」と言うのは、たかだか西暦1900年以降の事です。
真言宗空海(真言密教)以外にも古神道も修験道も日蓮宗も、その中の一部の人間ではあるが、法力を磨いている者は、昔から相変わらず霊障に対応している。
医師は、製薬会社や身内が作成した「エビデンス」は大好きなのですが。
医師は「霊障に関しては、専門外のため、神社かお寺のうち、対応できる寺社へ行って下さい。」と言えばよいだけなのですが、どうしても「誤診し、適当な病名を付けて、効果がなくて、霊感の有るような敏感体質の人間には重篤な副作用が出る精神薬を処方する」という事しか出来ないというのが現状です。
「真言宗 除霊」「日蓮宗 除霊」、古神道や修験道の「○○ 除霊」などとインターネット検索すると、「何年もつらい状況で精神薬も全く効果がなく、結局この寺の除霊で治った。」という事例が散見される事が分かります。
※ただし物事を調べる際に、日本全体が、「インターネット検索」に頼りすぎです。
物事を調べる際に、日本全体が、「インターネット検索」に頼りすぎている
物事を調べる際に、日本全体が、「インターネット検索」に頼りすぎている。
電車の時刻や趣味や日用品のことを調べるのはインターネット検索は便利だと思うが、自分の生命に関わるようなことまで、インターネット検索のみで終えるのはさすがに、「自己の人命軽視」が過ぎると思うし、専門的なことはやはりすぐに「専門家の意見」をインターネット検索せずに、補完の意味で「この専門家は実はポジショントークや忖度が過ぎるのではないか」と自分で判断してみる事が大事だと思う。
自分の生命や命運を、「専門家を自称する医師や先生」に丸投げするのはリスクが高すぎると思う。
すぐに丸投げしていては、判断力を養うという機会も放棄することになる。
図書館で本を検索したり、現地調査した人に話を聞いたりする事なく、インターネット検索だけで「物事を調べた」と満足感に浸るのは、全く判断力が養えず、「”自分の見識に沿った事実”だけが真実であると思い込み、偏って判断してしまう。」という状況から全く抜け出せないのではないか。
しかも「インターネット検索」が、パソコンに詳しくない人でも安全に有効に使えた時代は2000年頃~2020年頃までのわずか約20年間だと思われる。
※ニフティ発足が1995年頃。2020年頃はインターネット広告やSEO汚染が急速に勃興し、インターネットに詳しくない人にとっては「インターネット検索」の価値が大きく下がった(=インターネット検索の難易度が上がりすぎた)。
例えば医療情報で言うと、2016年のDeNA社のWELQ問題の反動としてのGoogleによる健康アップデートがあり、今度は逆に「病院ホームページのSEO」が簡単に効果が出るようになってしまった。
2015年以前は「うつ病」をGoogle検索した際には、
・患者が記載する(精神薬のせいで精神を毀損した)ブログも
・病院ホームページも
平等に表示されていたが、最近では、病院ホームページの「SEOが過剰に施された長文の(うつ病)情報」しか探せないという方も多いのではないか。