精神疾患と誤って診断される「霊障」

精神疾患と誤って診断される「霊障」

 

※除霊を掲げている寺社一覧ぺージは、訳有って削除しました。お困りの方は、例えば単なる一例ですが「真言宗 除霊」「稲荷 除霊」などでgoogle検索し、さらに関連文献も読まれて、また実際にまともな人から直接聞いたりし、多くのホームページや動画などを見て比較し、訪問してみてください。

 

 

このページの目次

 

 

霊障を理解できる人は少ない

 

まずは、「霊障」に関しての知識ですが、現代ではまともな知識を持っている人はほとんどいません。

 

除霊できたり慰霊をしている「専門家」の中にもほとんどいません。

 

そのため霊障の被害者の方々で一段と悲惨なケースとしては、霊能者や精神科医が霊障ではないと誤診したことにより「精神薬を飲んでさらに心身ともに死にかけている」という事例です。

 

死にかけているというか自殺しておられる方もいらっしゃいます。

 

そして霊障を詳しく知らない方々に文献や取材による「検証」の重要性を伝えてみても、多くの人が「本に書いている事は事実か嘘か分からないから読まない!」と怒り出す始末。

 

本を読まなければ「現代社会(主に都市部)で必要な文字情報を精査する能力の向上ができない」というアドバイスも聞き入れてもらえません。

 

また「本を読まない!」と怒る人の中には「自分の意向に沿うインターネットやテレビの情報は、深い精査無く信じる。発信者のポジショントークだと言うことにも気づかずに。」という人もいるのではないでしょうか。

 

さらに「自分の判断力はいつも正しい」と過信していることにも気づいておらず、自分の判断が間違っているのではないかと精査する事もありません。

 

その方が自分にとって心地よく快感で生きやすいからです。

 

事実を優先した言動をせずに、その単純な考え方・その興奮行動・その保身行動の方が「自分にとって心地よく快感で生きやすい」。

 

このような人々にとっては、「誤りを認める」「深く考える」という行為は、尊厳や心身に一定のストレスがかかってしまうのだと思われます。

 

または、労働に人生や心身を支配されており、時間的余裕も無くて、色々な機能(精神性や人生の意義など)を伸ばせないのかもしれません。

 

「現代社会」という線路の上を走り続けるためには、自分で自分の方に刃(自分にとって不利益な情報)を向ける行為は、とてもじゃないけどできないのかもしれません。

 

これらの人々が昨今、誤解・誤診・SNSの誹謗中傷・社会や職場での他者への抑圧等の多くの現代的な病巣を引き起こします。

 

人を害している事に気づいてもいません。

 

特に、「家族や自分を守るため」という錦の御旗を「判断の拠りどころ」とし、冷静な判断ができず、そのためならば他人の気持ちは考えずに行動するし、最悪、その錦の御旗のためには他人や兄弟が死んでも構わない、心身を傷つけても致し方ないという人もいるのではないでしょうか。これはもう鬼畜や地獄の域に片足を突っ込んでいます。

 

こういう人は、現代社会(主に都市部)という戦場で味方が少なすぎるために、近くの味方(家族)や自分にとって利益のある者やモノを過剰に大切にしてしまう傾向が有るように思います。

 

1万年以上前の縄文時代から昭和40年代までは、まだ人間の判断力で生きられていたように思いますが、昭和40年代以降からは、特に都市部での労働を行っているうちは、もう人間の判断力で生きるのは無理な人がどんどん増えていっているのではないでしょうか。

 

人間本来の思いやりや視野の広さや情報精査力などを捨てて、少ない味方を守っていかないと、どうやってもストレスが限界を越えてしまう(交感神経が人間本来の想定以上に興奮してしまう等)のではないでしょうか。

 

さらに、「誤った正義感に基づく行動」は多くの場合は実は「自分がストレス等によって交感神経が異常に高ぶっていて、人間的な冷静な判断力を手放している」ということに起因していることも有りますが、それに気づくこともできません。

 

また、「情報を精査する能力」は、現代では一部の「トラブル解決に携わる職業」や「未知の事柄に関して調査する職業」または「困難な状況・性格・趣味などに起因して、能力が身についた」という人でなければ、身に付けることは無理かなと感じています。

 

それ以外の人はそもそも精査する能力を獲得する時間的余裕が無かったり、必要性があまり無いと感じていると思います。

 

精査する能力が有る人がなにも偉いと言うわけではありませんが、人生においては突発的に、または必然的に「情報を精査する能力」が必要となる時が来ることがあります。

 

これらの点やさらに「霊魂や生き方、人生についてそれほど詳しくは興味が無い、興味が持てない」という点などがあわさり、霊魂観や霊障については、他の色々な日本古来の有用な文化や価値観と共に廃れてしまいました。

 

現代社会においては「生きる」「生き方」という事も廃れていったように感じます。

 

「生きる」「生き方」が廃れた要因としては

 

・近代化という面では、主に営利企業の扇動する「享楽的」や「便利」や「スマホ」や「テレビ」などに多くの人が流され、貴重な「健康」や「人生」を捨てているように思います。(何時間も必要以上にスマホやパソコンや「座る」に1日を費やしている人もいる。これは「生き方」をある意味先祖の代から教導してきた神仏からしても悲しい行為だと思う)

 

・歴史的には、敗戦(負ける戦争に無謀に挑み、さらに蛮行も厭わない旧日本軍)や、戦後教育も一因だと思いますし

 

・労働環境的には、誤った美徳等の数々の刷り込みにより、自分の能力以上に負荷やストレスを抱えて働くという罠(結果として人生や本当の幸せについて考える思考を養えないし、考える時間を捻出できない)に陥りやすい労働環境も挙げられるかと思います。

 

1.死霊、2.生霊、3.悪霊、4.神霊について

 

これら4つの霊や人間の魂などは、全てエネルギーや念です。

 

実体はありませんが(実体を観測する科学的な方法が、現在は無いというだけです。)、実在します。

 

1.死霊について

 

・寺などの多くの文献やホームページを見る限り、多いのは未成仏の霊(自殺者や一度も慰霊のされていない水子さん)や先祖の霊(死んでからもネガティブな念を持っている等)かと思います。

 

これらに取り憑かれる流れの一例として、稀ではありますが自分で霊を成仏させるケースの例としては、まず半年間くらいをかけてどんどん体調が悪く寝たきり状態になっていき、趣味嗜好や考えが段々と霊に操られるようになります。

 

家系図を取り寄せたくなったり、廃城に行きたくなったり。

 

成仏したい霊も必死ですのでこういう事が起こります。

 

結局ある程度意識が乗っ取られると、「誰が成仏したい」かが自分自身で理解できますので、そして慰霊の気持ちを持ったり、神棚や仏壇等で一度でもその者に対して慰霊すると完了です。

 

「最後は、現世の者が成仏作業をしなければならない。」というのが未成仏の霊からすると最大の難行です。

 

そして現代において成仏作業を自己で完了できるケースは稀ですので、基本的には除霊ができ且つまともなお寺や神社の方々にお任せしてください。

 

2.生霊について

 

・生霊については真言宗系の霊魂に関する本や除霊を掲げているお寺のホームページなどでよく記載がありますが私は遭遇したことはありません。

 

割合としてかなり多いのは憎い念を持つ昔の恋人や離婚した男女です。

 

3.悪霊について

 

・悪霊が何のために来るかと言うとは、昔から言われてるのは(仏教書によく書かれているのは)「仏道(いわば人間的なまともな生き方)を妨げるため」です。

 

詳しくは摩訶止観や禅宗の方々の著書が適していると思います。

 

現代では仏教者であってもし魔という語句を知っている人でも、内からくる魔(単なる心理的な要因、煩悩など)と外からくる魔(悪霊)を混同している人がほとんどです。

 

坐禅儀(慈覚大師 長蘆 宗賾、1338年編纂)

 

然り而して道高ければ魔盛んにして、逆順万端なり。

 

但だ能く正念現前せば、一切留礙すること能わず。

 

楞厳経、天台の止観、圭峰を修証義の如き、具さに魔事を明かす。

 

預め不虞に備うる者は知らずんばある可らず。

 

この3つの参考文献は悪霊に困っている人には(不要な文章の削ぎ落としや、悪霊に関する他の文献や情報が必要なものの)参考になります。

 

意識が少しだけ乗っ取られた場合の解決方法等も載っているため。

 

できればごく近くに1人は理解者(ある程度、物事の分別や躊躇ができる家族や、検証の重要性が分かっている人など)がいたほうが良いです。

 

そしてこの悪霊の取り憑かれに関しては一番壮絶です(取るに足りないレベルの現象もあれば、大ダメージを負う壮絶なレベルもある)。

 

これは死霊、生霊、神霊よりもはるかに例は少ないです。

 

死霊、生霊、神霊については日本の文献やインターネット情報が玉石混交とはいえ豊富ですが、悪霊は日本よりも中国か西洋の方が情報が多いくらいです。

 

先述の天台智顗氏の摩訶止観や、弘法大師空海の秘蔵記、医学書の医心方などまで遡れば(文書の精査はより必要なものの)見つけられますが。

 

悪霊の取り憑かれで大ダメージを負う壮絶なレベルの概要としては、

 

→自分の記憶を好き勝手に使われる。それをもとに例えば自分が仮想現実や核戦争の最中にいる等の陳腐な世界観を完全に信じ込まされる。

 

→精神が耐えられない程度の恐怖の幻覚や幻聴が有る。

 

→意識まで乗っ取られると、心身ともにかなりのダメージが残る。

 

→霊障の被害者であるのに、一部の判断能力や霊魂観が全く無い方々に加害者のように見られたり扱われる。これは霊障に関係なく、「思い込みや誤解をしている軽率な人々から、SNSで誹謗中傷を受ける被害者」に似ています。

 

どのように誤解を解くか。

 

「思い込みや誤解をしている軽率な人々から、SNSで誹謗中傷を受ける被害者」となった場合と似ていますが、霊障の被害者であるのに加害者のように見られたり扱われる場合、どのように誤解を解けばよいのでしょうか。

 

相手が以下のいずれかの場合は誤解を解きやすいと思います。

 

・ある程度の霊魂観が有る。

 

・霊に関して少し知識が有る。霊障や狐憑きの事例を少しでも知っている等。

 

・精査ができる。

 

逆に相手が以下のいずれかの場合は誤解を解きにくいと思います。

 

・上記のどれにも当てはまらない人

 

・「興味も無い、調べる気力も無い、早く判断してしまいたい」という単細胞思考の人

 

・ストレスがすでに一定値を越えている人

 

・先述のように「家族や自分を守るため」という錦の御旗を「判断の拠りどころ」とし、冷静な判断ができず、そのためならば他人の気持ちは考えずに行動するし、最悪、その錦の御旗のためには他人や兄弟が死んでも構わない、心身を傷つけても致し方ないという考えの人

 

これらの人々に対して、どのように誤解を解くか。

 

SNSで誹謗中傷したり加害者のように見てくる方々に誤解を解くのはかなり困難だと思います。

 

少しは対面で会話できる方々の場合どうするか。

 

非常に難しいため、神仏しか解決できないかもしれません。

 

神仏はある程度は流れを理解しているため、

 

・願えばこの問題を解決してくれるかもしれませんし、

 

・神仏は「興味も無い、調べる気力も無い、早く判断してしまいたい」という方々とは、(後々の様々な禍根を避けるために、ある程度の期間のうちは)話をせずに一定の距離を置くべきだと考えているのかもしれません。

 

また、悪霊に取り憑かれないためにある程度の「行」を行っているという行動で示せば、少しは理解を得られる可能性も有るかもしれません。完全な被害者が、このように弁解や申し開きをする気力を持って努力しなければならないのはきついかもしれませんが。

 

家族はなぜ大切なのか

 

これらに関連して、家族はなぜ大切なのでしょうか。

 

恩を受けたからでしょうか。

 

慈愛というのがキーワードになるかと思います。

 

人間や動物の機能として、「慈愛や恩情を与えてくれた人は、大切な存在に思える」ということは一因になりうると思います。

 

他者や家族に慈愛や恩情をあまり与えていない場合、その人に嫌われる要素の一つになるかと思います。

 

また、人間や動物の特徴として、愛情などの温かい面と、それに相反するかのように(生存競争のためか)攻撃的な面があり、その2つが両立されていることを知っておく必要があります。

 

両立している特徴のうち、具体的な機能で言えば、「落ち着く」系の副交感神経と「すがすがしい」や「興奮」系の交感神経が備わっていることも理解する必要があります。

 

仏様や仏教としては、お釈迦様の苦の滅却にも通じますが「落ち着く」系を伸ばしましょうと伝えています。

 

特に近代化以降は営利企業による「すがすがしさ」「興奮」に扇動されやすいため、さらに「落ち着く」系が重要になってきたと思います。

 

悪霊については別のページである程度解説しています。

 

現在で、悪霊に取り憑かれる人の多くが、「寝ている時に取り憑かれる」事例です。

 

明らかに変な夢で、「最終的には他者(悪霊)が制作している夢だと分かる夢」をみてしまいます。

 

これは悪霊の取り憑かれでもかなり軽い症状(取るに足りない症状)で、このレベルであれば対策も不要かと思います。

 

悪霊に取り憑かれやすい人は、「霊的な感受性を持ってしまっている人」です。

 

これは除霊や慰霊に関するお寺関係の人にとどまらず、一般の人にも当てはまります。

 

悪霊に取り憑かれない方法は、現代ではほぼ有りません。

 

死霊・生霊・神霊に取り憑かれない方法もほぼ有りません。

 

心身が健全だと寄ってきにくい、快活な性格になると霊が寄ってこない、どこかのお守りを持つと寄ってこない等はよく聞きますが、これは一見正しそうですが、結局は因縁や素質などによって、これらの霊はある程度の障害は乗り越えて(心身が健全であろうとも)取り憑いてきます。

 

といっても、「霊障に遭いにくくする鍛錬や行、護符の類」は昔からの歴史が有りますので、もしかするとこれらの行などによって霊障に遭いにくくする事は可能なのかもしれません。

 

「これをしたから霊障に遭いにくくなった。」と判定できる事例が文献や現代の事例を読んでも見つかりにくいだけで・・・。

 

4. 神霊について

 

神霊がコミュニケーションを取ってきたり取り憑く(神がかり)事例は昔から本にも掲載があり、現代で刊行されている中で一番多いのはユタの方々の事例、次に神道、真言宗あたりです。

 

大雑把に言うと神霊に商売繁盛や健康を願って、実際に願いが達成されるケースも、神がかりかなと思います。

 

神霊がどのようにコミュニケーションを取ってくるかと言うと、「言葉」、次に「波動」が一番多いと思います。

 

慣れたり多くのまともな知識を持っていると、この「言葉」や「波動」は、神によるものだという事が理解できます。

 

というか当然ながら最終的に人間が理解できるような形で神がコミュニケーションを取ってくると言った方が分かりやすいかもしれません。

 

「神仏によるコミュニケーション」のうちで現代で最も分かりやすいのがやはり神仏の力による除霊行為や成仏作業を何度も見聞き又は体験する事だと思います。

 

※除霊行為や成仏作業においては、神仏が介在せずに現世の者のみで除霊行為や成仏作業が完了する場合もあります。

 

「体験しないと事実かは分からない」というのでは、歴史書も新聞もその人にとっては事実か分からないという事になります。

 

情報の精査できないと、つまるところ「色んな事実が分からないまま、テレビや他人に知らず知らずに操られて”人生”を深く考えられずに、スマホばっかり見て健康を害し、不用品を買ったり売ったりしながら、死んでいく」という訳の分からない、「自分の人生を粗末にした」という事で死後も閻魔様によって地獄行きが決定しそうな生き方になるのではと思います。

 

「神仏に似せた悪霊からのコミュニケーション」と「神仏からのコミュニケーション」は最終的にはある程度の切り分けができます。

 

これも切り分けできることが人間として凄いわけではなく、「最終的に切り分けできるような流れで、後々気づくような流れで、神仏がコミュニケーションを取ってくる」というだけです。

 

誤診に気づく仕組みを設けない、浅はかな者

 

霊障は、精神病や精神疾患で用いられる精神薬では治らない。

 

また、「精神医療の荒廃」に関する文献は多く発刊されており、精神薬の試験データの取り方も恣意的で情けないという感想である。

 

さらに霊障を病気だと誤診される患者にはおなじみのオランザピン/ジプレキサなどは、本澤氏の著書によると(wikipediaにも記載が有るとおり)、全国精神障害者家族会連合会(全家連)が議員へ早期承認陳情を行っているが、背景にはこの全家連は、企業から寄付金や接待を受けている。

 

また病院でエビリファイを処方される時に、エビリファイには自殺企図の報告(KEGGサイト等)があるという事も、医師から説明を受ける患者は稀である。

 

精神薬の怖さは、何の知識も無い段階なのに「まともで役に立つ薬かもしれない」という期待や思い込みが有る点、口に入れるものの安全性を、自分で調べる気力が無い状態で、服用しなければならないという点です。

 

そして、霊障か病気かの切り分けについては、日本では1900年以降に急速に衰えていった。

 

海外の方がまだましで、アメリカの精神疾患の診断基準のDSM-5では解離性同一性症の説明で「憑依」が記載されている。

 

WHOの、ICD10(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)では「F44 解離性/転換性障害」にPossession trance disorder(憑依トランス症)が有る。そこでは、「憑依とは”自分の意識”が神、魔、霊などの影響下に置かれる」とある。

 

医学情報書のMSDマニュアルでは解離性同一症の「憑依」として、「人格は通常は外部の主体/超自然的な存在/霊魂」「超自然的な存在(しばしば悪魔または神)である場合もあり、過去の行為に対する罰を求めてくることがある。」と記載がある。

 

このような霊障や憑依に関しては、それこそ一時期は日本の方が知見が有り、西暦800年頃から大量に文献に記載してきた。

 

現代では、本を読まない、または少ししか本を読まない人間が増えてくるのと比例して、「知識が無いけど自信はある」という職業人(精神科医も霊能者も含む)が増えてきた。

 

あと10年もすれば、「太平洋戦争は侵略戦争ではなかった。」という、戦中の一部の人間と同じ程度の「知識が無いけど自信はある」という人が、日本国内でほとんど占めるのではないか。

 

こういった本は大衆の自尊心には心地が良くて、マーケティング的に売りやすいから。

 

そしてこのような簡単思想の大衆は、心理的に誘導しやすく、結果として「戦争で儲ける人たち」に操られて、また「解放のための戦争、正義のための戦争」と間違えて、「戦争やむなし世論」を形成してしまいかねない。

 

多くの本を読まないと、この情報社会で必要な「情報の精査力」がつかない。

 

また、多くの本を読んでも、偏向的な読み方をしていては意味が無い。

 

恣意的なポジショントークや儲けがメインで、本を出版し続けている人も多いから。

 

偏向的な読み方を続けると、フィルターバブルやエコーチェンバーと言って、自分の嗜好に沿った情報が大好きになっていくだけというデメリットしか得られない。

 

 

本当に、本を読まないと、「本を読む人間」に心理的に操られ、マーケティング的に操られ、操れている事も分からずに、無駄な商品を買ってはネットで売るという、第三者から見ると情けない人生を過ごす。

 

まぁ本を読まないと、まずは心から貧乏になると思う。

 

現代では家にいながらにして国会図書館オンライン国書データベース等で、無料で多くの文献が読める。

 

霊障や憑依に関してお勧めできる天台 智顗氏の摩訶止観や宮崎大門氏の幽顕問答鈔もこれらのサイトで無料で読むことができる。

 

ただしこのような霊や憑依に関する古典/文献/エビデンスを読まない精神科医や霊能者ばかりであるから、ただただ誤診する。

 

誤診しても責任を取らなくて良いから、文献を読まないし倫理観や道徳観も稚拙なまま。

 

そして誤診された患者は、指導や投薬によってさらに悲惨(死も有り得る)な状況になる。

 

誤診に真摯に向き合う環境を作らない精神科医や霊能者は、自分のせいで患者をこのような悲惨な状況に落としている事にも気づかない訳なので、もし地獄が存在するならば、死後は地獄に落ちると思うがどうだろうか。

 

まず、誤診に気づく仕組みを設けない(経験豊富な)霊能者と、誤診に気づく仕組みを設けない(経験豊富な)精神科医は、このホームページで紹介する色々な文献をまずは参照し、文章の真偽を調べる等を行って、「精査する力」「判断力」「経験や主観の、危うさや馬鹿さ加減」を体得及び理解し、そして「霊障とは何か」を理解してください。

 

霊能者は「神」に頼りすぎ、精神科医は「西洋薬」に頼りすぎ。

 

「自分自身で患者(や文献を)を観察し、検証する。」と言うことを放棄し、「責任」を最終的に神や西洋薬に放り投げ放棄している。

 

神も西洋薬も、その効果効能は、「個々の患者の状態が、宣託前や投与前に確定している」訳であるから、結果も事前に100%決定している。結果として間違いなく100%の効果が出る。

 

ただし、人間(霊能者や精神科医)が介在する場合、「個々の患者の状態」を見誤る訳なので100%にはならない。

 

誤診が発生する。

 

実際に霊障を体験した患者が「霊障」だと伝えているのに、神霊に関して広く文献を読まない霊能者及び精神科医は、「文献には多く記載されているが、自分としては初めてのケース」のため、経験が無く、そして誤診する。

 

そして患者における例外事例にこそ、真実がある。

 

「例外の中に、真実がある」というのは神道の本や戦争の本に度々記載される言葉。

 

浅い人間は、どうしても過去の成功事例に引っ張られて、次の診断をしてしまう。

 

「経験を増やすことによる危険性を自覚して、次の診断にあたらなければならない。」というのは、どの業種の仕事においても初歩的なことなのだが。

 

そして症例の僅少な患者は、霊能者や精神科医から、間違った診断をされる。

 

まぁ霊能者のうち「判断力なく、神のお告げを単に聴き、患者を教導する者」は、本当に単なる「霊能者」どまりで、神のお告げを単に自己解釈するのではなく、患者の中に入っている霊の挙動を見据え、自分の洞察力や蓄えてきた文献による知識やエビデンスをもってして判断したり分別したり、もしくは躊躇や保留できるのが、審神者(さにわ)である。

 

これについては宮崎大門氏も同様の苦言を呈している。

 

特に、「躊躇や保留」ができない人間が、霊能者や精神科医に限らず多すぎる。

 

そして見切り発車で原因を断定しているからこそ、「誤診の指摘」を素直に受け付けることはできない。

 

そもそも「自分自身の技術に、自信の有る人物」にろくな人間はいない。

 

こういう人間は「例外事例」に遭遇すると、過去の一般的な事例、自分自身の技術で対処できるであろう事例であると誤診してしまう。

 

「失敗をまず指摘されない環境にいる人間」、これまた技術の研鑽が出来ぬ訳で、不幸なことである。

 

自分自身で作り上げた砂上の楼閣の頂きで、「先生」として生き抜くしか無い。

 

「霊ではなく精神病だと思われる」という誤診や失敗をされた患者側は悲惨であり、寝たきりが続いても、生死をさまよっても、その責任を「先生」は絶対にとらないし、そもそも認めない。

 

文献による”霊障のエビデンス”を顧みないことによる、精神医療の堕落と荒廃について

 

釈迦も空海も親鸞(夢告等)も、その他の多くの市井の人々も、神霊に遭います。

 

これは昔から現代に至るまで多くの文献に記録されています。

 

そしてこれらの方々は、精神科医に診察されてしまうと、「幻覚、幻聴ですね。統合失調症です、精神薬を処方します。」となります。

 

複数回神霊に遭う場合は、「(国連では”差別や人権侵害”と言われている)精神病院へ、入院しましょう。」となります。

 

そして釈迦も空海も親鸞も、多く神霊に遭う人間ほど、病状が重いとされて精神病院に長期入院しそこで死ぬ訳ですが、この状況を「誤診」と認めて、物事を正す事ができるでしょうか。

 

現代日本においては不可能です。

 

霊障の有無に関係なく、精神病院入院をはじめとする精神医療の荒廃は当然ながら人間の尊厳や人権やどの角度から見ても「異常」なのですが、現代日本においては「普通」です。

 

国連から「精神病院の入院」は差別や異常と指摘されても、日本でその状況(入院患者の幸福追求権等に対する侵害)に気づく人間は(人権関係者以外は)ほぼ皆無です。

 

NHK-国連勧告で問われる日本の障害者施策

 

NHK-国連やWHOなどから何度も「深刻な人権侵害」と勧告

 

毎日新聞 - 精神科の強制入院で弁護士が感じる違和感・ハンセン病患者の隔離政策に通じるところがある(八尋弁護士)

 

日弁連 - 精神障害のある人に対する強制入院制度は、ハンセン病患者に対する強制入院制度と同様であって、差別偏見を作出・助長する患者隔離制度に他ならない。

 

日精協関係者-「病院に長期入院でいるほうが、幸せ」

 

滝山病院 入院手続きで偽装か 埼玉 所沢市の職員ら7人書類送検

 

「2023年8月17日 看護師による入院患者への暴行事件が起きた東京 八王子市の精神科病院「滝山病院」に入院した埼玉県所沢市の男性患者を医療保護入院させた際、手続きを偽装した所沢市の生活福祉課の職員等、合計7人を書類送検。」

 

大和川病院や神出病院のような惨状は過去のことでは無く、現在進行形です。

 

精神科医の誤診

 

日本の精神医療における「精神患者への差別、人権侵害」は国連が勧告していますが、そもそも医師の未熟な精神性はどうしようもありません、なるべく数少ないまともな倫理観の有る医師(倫理教育を重視する家庭・小・中・高に通学していたような医師)を患者が探すしかありません。

 

精神科医の誤診や精神性はおよそ以下のような状況です。

 

以下が氷山の一角なのか、逆に特殊な事例なのかは、調べてもらえればすぐに分かります。

 

実に患者の4割が、誤診、あるいは誤診の疑いがあると感じた経験を持っていた

 

「医師によって病名がコロコロ変わる」

 

精神科医の中には、セカンドオピニオンの希望を伝えただけで、「信じられないのか!」「もう来るな!」などと逆上する人が少なくない

 

精神科の治療成績がほとんど公開されていない

 

読売新聞の医療・健康・介護サイト「ヨミドクター」 - 患者の4割が誤診・誤診疑い経験

 

①最終的に治療が正しかったのかどうかの判断が難しい。
②診断基準が曖昧。
③日本では、公の場において他者批判する文化は排除される傾向にある。
④権威とされる者の意見はすべて正しいという風潮がある。
⑤学者同士が公の場で議論されることがほぼないという現状。
⑥患者はさておき、医療者同士が互いをかばいあう習性がある。

 

精神科医療における誤診・誤処方は何故減らないのか

 

精神疾患として紹介されながら身体疾患であった疾患・病態の一覧

 

精神疾患と誤診されていた身体疾患シリーズ

 

1.気分障害型:

 

副腎不全・機能低下症、Cushingsyndrome、甲状腺機能亢進症、甲状腺機能低下症、
ACTH(単独)欠損症、パーキンソン病、悪性新生物、睡眠時無呼吸症候群、睡眠相後退症候群、
リウマチ性多発筋痛症、PM/DM、腎不全、心不全、薬物

 

2.精神病型(意識障害を含む):

 

低酸素血症、CO2ナルコーシス、低血糖、低Na血症、高Na血症、
高Ca血症、低Ca血症、肝性脳症、チアミン欠乏、てんかん、
慢性硬膜下血腫、変性疾患(多系統萎縮症)、
髄膜炎・脳炎(インフルエンザ脳症、進行性多巣性白質脳症、進行麻痺、ヘルペス脳炎)、
脳腫瘍、頭部外傷(脳震盪、脳挫傷)薬物

 

3.身体症状症型:

 

多発性硬化症、胸郭出口症候群、周期性四肢麻痺、急性散在性脳脊髄炎

 

上記の脳炎や低血糖や甲状腺関係等を精神疾患と誤診するというのは、検査せずに診断結果を出して投薬している訳であるから論外。

 

精神科しかない病院であれば、総合病院への受診を1度は勧めるか、「精神疾患と間違いやすい身体疾患」という1枚の印刷物を作成し患者に渡し説明すれば良いだけではないか。

 

そして精神科医は、誤診しても、間違った薬の処方をしても、ほとんど責任は問われません。

 

誤診後に、上に記載されているようにセカンドオピニオンや他の病院で、まともな診察を受けて多剤処方から抜け出す目処がついたという事例は数多あります。

 

ですが、この際に最初の病院の医師が「誤診した」と気付ける仕組みが無く、誤診による罰則も無いため、どうしようもありません。

 

日本の精神科医は自責の念を持つという事もまず無く、この状況ではその医院は、5分診療や誤診のたれ流しを発生し続ける現状から永遠に抜け出せず、例えばKEGGサイトに記載がありますが、「エビリファイは若年者には自殺念慮、自殺企図のリスクが増加するとの報告が有る」と、(特に若年者以外の)患者に説明をすることなくエビリファイや、それ以外の多様な精神薬を処方する訳ですから。
精神薬の副作用や稀な副作用について説明を1人1人に行っている医師の方が少ないと思います。

 

それで自殺したり薬漬けになったり重篤な副作用が出て医療過誤訴訟まで行っても、裁判官自体が医療に詳しくないこともあり、患者側は満足な結果は得られにくいです。

 

薬漬けについては例えばNHKのハートネットや、精神病院の口コミをGoogleマップで見てみてください。

 

どうも精神科にかかっている患者の、悲痛な口コミや叫びは軽視されている状況ですが。

 

また、他の診療科なら例えばレントゲンの写真を見て骨折と判断したり、血液検査/CT/MRI等で患者の状態を判断するのですが、精神科は問診のみで診断し、薬を処方します。

 

「上記のような検査結果が無く、問診のみの診断」「誤診しても責任は取らない」という状況の中での診断ですので、簡単に信用してはいけません。

 

診断書も、主観や思い込みで間違った診断を精神科医が記載しても、事件化しない限り、不正を問われません。

 

殺害事件発覚前に病院が不正診断書を作成か 病院を捜索 青森

 

この病院の精神科は不正診断書を作成し遺族に嘘の説明をしましたが、これは氷山の一角です。

 

精神科のみでなくとも病院におけるカルテの信用性の無さは、「医療事故に 遭わない 負けない 諦めない」(2017年)という本などに、例えばカルテの改ざん等が詳しく書かれています。

 

書類の改ざん等の防止方法は安価で簡単だと思います、記載日をタイムスタンプで記録する等。こういったカルテ改ざん防止対策を取っている病院は無い、もしくは極めて稀だと思います。よって、カルテ単体での「信用性」はほとんど無いと言っても良いと思います。改ざん防止策をせず、後から病院側での改ざんも簡単な「患者に関する資料」の信用性はカルテに限らず、信用性は疑わしいと考えるのが妥当だと思います。

 

医療現場や医師のおかしな言動に関しては保阪正康氏の「医療崩壊 - 私たちの命は大丈夫か」(2001年)という本にも詳述されていますし、特に精神医療に関しては、東大教授の石原孝二氏も詳しいですし、その他、(疑問を持つ)ジャーナリストの本や著述が多く見受けられます。嶋田和子氏の著書にも冷静に精神医療の駄目さが記載されており、特に東海地方のある精神科医の主張は目も当てられません。

 

ジャーナリストでなくても、「間違った診断及び見立てによる、薬漬け」に警鐘を鳴らす精神科医も存在しますが、それだけ薬漬けに代表される間違った診断がまん延しているということです。

 

以下も精神科医の方による、精神科医への指摘です。

 

何でもかんでも全部統合失調症で済ませるおつもりですか?

 

統合失調症は病気のくずかごではありません。

 

薬の副作用を、症状の悪化としてさらに増薬していませんか?

 

「善意の無知」も「悪質な親切」もどちらも許されるわけがありません。

 

無責任に何年も何年も多量の抗精神剤を処方され続けた患者さんがどうなってしまうのか。

 

その人生を償うことができますか?

 

日本中の精神科医の皆様へ

 

そのため精神の不調に関しては、セカンドオピニオンや、精神科医以外の分野の方々の話も聞きに行った方が良いです。

 

「精神科医以外の分野の方々」とは、身体疾患と精神疾患との切り分けもできる総合病院や、自律神経などの神経に及ぶ場合は漢方薬局や整体院など。または霊障の因縁が有るのならば対応できる寺社。

 

国連が指摘する日本の精神医療における差別や倫理観の未熟さ

 

そして先の国連の勧告でも触れていますが精神病院に関わる人々の人権意識は高くなく、端的に言えば日本の精神医療は荒廃しています。

 

※日々忙しく仕事をしているのは理解できるが、仕事の方向性や医療倫理が問題。特に国連の指摘する「入院」。

 

※ただし全然問題のない、良い方々も、いるにはいます。各精神病院の実態については大阪精神医療人権センターをはじめとする各地域の人権センターが刊行する冊子、人権センターや精神医療問題を紹介しているNHKサイト、人権センターHP、読売新聞医療サイト ヨミドクター等に記載されています。また2023年の滝山病院以外にも完全に倫理観の欠如している精神病院は常に存在しており、氷山の一角ですが度々ニュースになっています。

 

そして精神科医は、15分程度の問診で統合失調症/解離性障害等であると診断する事がおかしいと言うことも分かっていません。

 

患者の幸福追求権や人権までを本当に考えてる精神科医も見当たらず、患者の方よりも精神薬の方を向いて従事しているというのが精神科医の実像だと思います。

 

1900年以後の医者は、「霊障」を嘘と考えるようになった、または誤診するのみ

 

そのような精神科医や精神医療のレベルですので、ましてや「霊障」を理解できる思考はありません。

 

よって、霊障の患者さんは、うつ病、統合失調症、解離性障害、躁うつ病という風に様々に、「誤診」され、霊障に全く効果の無い精神薬を飲み続けて、副作用によって余計に生活の質が下がるという訳です。

 

霊障を患っている方は敏感な体質な方も多く、そのため、このような方々には薬の副作用(思考力低下、眠気、自殺企図等)が激烈に出ます。

 

真言宗の空海も「身病の要は、四大と、鬼と、業なり」と言っているように、昔から「霊障には薬は意味が無い、除霊しかない。」というのは識者・行者・実体験を有する者、この3者にとっては当たり前の事です。

 

真言宗の方の著書でも紹介されている高峰大神の話(このケースも医者が誤診し神道の加持人によって対応できた)や、菅原道真を代表格とする日本史における怨霊や、井戸埋め時に息抜きや神事をしなかった結果として精神に異常をきたした話など、西暦800年以降、大量の文献があって、文献の真偽の精査もわりと簡単なのですが。

 

1つの図書館で、”霊や神仏による人知を超えた超常現象”を記載している本を探したとするならば100冊以上は有ると思います。

 

また、調査方法としては下の下ですが、家から一歩も出たくないけど調査はしたいという場合でも、インターネット上で神霊のうち怨霊/御霊部分に関する文献を一覧にしておられる方のホームページや、国会図書館オンラインでも見つけることができます。

 

そして、これらの過去の文献の真偽の精査や、会議や討議を行い忖度部分や誇張部分を削ぎ落としたり、現地調査をした結果として、みなさんが学校で学ぶ「日本史」が有ることは、理解できると思います。

 

「現在存命ではない歴史上の人物」が本当に実在したかどうかは、現代の人間が目で実在を確認して、事実であると認定することは無理です。

 

文献の真偽の精査や現地調査をした結果として、「歴史上の人物 Aさん」が本当に実在したと確定される訳です。

 

これは、神や霊であっても同じです。

 

文献の真偽の精査や現地調査をした結果として、「神 Aさん」や「霊 Aさん」が本当に実在したと確定される訳です。

 

※また、神霊に関する現地調査のうちで一番容易なものはやはり、和尚かお上人の除霊シーンを何度も見て、何年も寝たきりだった人間が元気になるという神力に遭う調査だと思います。

 

西暦1900年以前の医師や識者のうち判断力の有る者は、文献や伝聞情報を総合的に判断し神・仏・霊の実在を認めていたのですが、西暦1900年以後の医師や識者の中で、これら多くのエビデンスの真偽判断をし真実にたどり着いた者は1人もいないのではないか。

 

空海が存命中の西暦800年頃~現在の西暦2023年に至るまで、識者にとっては霊障が存在することは当たり前の事です。

 

精神科医が実際には対応範囲外なのに、しゃしゃり出てきて、「有識者が記載した西暦800年以降の様々な文献に掲載されている霊障のエビデンスも軽視し、誤診し投薬するようになった。」と言うのは、たかだか西暦1900年以降の事です。

 

真言宗空海(真言密教)以外にも古神道も修験道も日蓮宗も、その中の一部の人間ではあるが、法力を磨いている者は、昔から相変わらず霊障に対応している。

 

医師は、製薬会社や身内が作成した「エビデンス」は大好きなのですが。

 

医師は「霊障に関しては、専門外のため、神社かお寺のうち、対応できる寺社へ行って下さい。」と言えばよいだけなのですが、どうしても「誤診し、適当な病名を付けて、効果がなくて、霊感の有るような敏感体質の人間には重篤な副作用が出る精神薬を処方する」という事しか出来ないというのが現状です。

 

「真言宗 除霊」「日蓮宗 除霊」、古神道や修験道の「○○ 除霊」などとインターネット検索すると、「何年もつらい状況で精神薬も全く効果がなく、結局この寺の除霊で治った。」という事例が散見される事が分かります。

 

※ただし物事を調べる際に、日本全体が、「インターネット検索」に頼りすぎです。

 

物事を調べる際に、日本全体が、「インターネット検索」に頼りすぎている

 

物事を調べる際に、日本全体が、「インターネット検索」に頼りすぎている。

 

電車の時刻や趣味や日用品のことを調べるのはインターネット検索は便利だと思うが、自分の生命に関わるようなことまで、インターネット検索のみで終えるのはさすがに、「自己の人命軽視」が過ぎると思うし、専門的なことはやはりすぐに「専門家の意見」をインターネット検索せずに、補完の意味で「この専門家は実はポジショントークや忖度が過ぎるのではないか」と自分で判断してみる事が大事だと思う。

 

自分の生命や命運を、「専門家を自称する医師や先生」に丸投げするのはリスクが高すぎると思う。

 

すぐに丸投げしていては、判断力を養うという機会も放棄することになる。

 

図書館で本を検索したり、現地調査した人に話を聞いたりする事なく、インターネット検索だけで「物事を調べた」と満足感に浸るのは、全く判断力が養えず、「”自分の見識に沿った事実”だけが真実であると思い込み、偏って判断してしまう。」という状況から全く抜け出せないのではないか。

 

しかも「インターネット検索」が、パソコンに詳しくない人でも安全に有効に使えた時代は2000年頃~2020年頃までのわずか約20年間だと思われる。

 

※ニフティ発足が1995年頃。2020年頃はインターネット広告やSEO汚染が急速に拡がり、インターネットに詳しくない人にとっては「インターネット検索」の価値が大きく下がった(=インターネット検索の難易度が上がりすぎた)。

 

例えば医療情報で言うと、2016年のDeNA社のWELQ問題の反動としてのGoogleによる健康アップデートがあり、今度は逆に「病院ホームページのSEO」が簡単に効果が出るようになってしまった。

 

2015年以前は「うつ病」をGoogle検索した際には、

 

・患者が記載する、精神薬のせいで精神を駄目にしたブログも

 

・病院ホームページも

 

平等に表示されていたが、最近では、病院ホームページの「SEOが過剰に施された長文の(うつ病)情報」しか探せないという方も多いのではないか。